先祖返りの町作り ~無限の寿命と新文明~
第53話 発展政策
私が領主として村で最初に行った発展政策は、学校の建設だった。
とは言っても、新たに建物を建設したわけではなく、無駄に部屋の余っている領主館を一部開放し、一定年齢の子供を集めて私が直接、文字の読み書きと計算を教えている。
発展の第一歩は学問からという事だ。
開校当初、住民たちは以下のような反応を示し、子供たちを学校に通わせる事に否定的だった。
「お貴族様のお屋敷でお貴族様に教えていただく等、とても恐れ多いです」
そこで、学校に通う時間帯の子供の労働を禁止し、義務教育のような制度を採用したため、しぶしぶといった様子で従っていた。
この国で使われている紙は羊皮紙であるため、動物の皮を加工する関係で大量には生産できず、かなり高額になっている。
そのため、教科書やノートは用意できなかったのだが、石板と石筆という黒板とチョークによく似たものがあったため、勉強に支障はない。
入学した直後くらいの頃は、おそるおそるといった様子で授業を受けていた子供たちだったが、やはり、子供は大人に比べて柔軟なようで、五年経った今では、それなりに親しく会話してくれるようになっていた。
これは、可能な限りフレンドリーに接していた、私の努力のかいもあったと思いたい。
学校の次に作ったのは、私の工房だ。
(発展のためには、開発資金が必要になってきますよね)
そのように感じた私は、ヒデオ工房を作り、一人でほそぼそと魔道具を生産している。
私の工房は生産量こそ少なかったのだが、ルツ工房以外では作れないとされていた小型軽量の魔道具を作れる事と、伝説の魔道具師、ルツ親方の一番弟子というのも知っている人は知っていたようで、知る人ぞ知るブランドのような扱いになっていた。
ちなみに、二代目のルツ工房長は、自分で直接、あの金色の粉を買い付けに来ている。
あの粉は工房長に代々伝わる秘伝中の秘伝の扱いになっていて、そうおいそれとは、他人に取引を任せられないのだそうだ。
エルクも既に三十歳になっており、後五年ほどしたら家督を譲り、私は引退してのんびりと工房長と学校の先生になる事が、密かな目標になっている。
また、二年ほど前から実験農場も整備しており、大豆を用いた輪作の研究も開始している。
この国でも連作障害は知られていたため、土地を二分割し、麦畑と休耕地をローテーションさせていた。
そこで、私は畑を四分割し、半分で麦を育て、残りの四分の一をそれぞれ大豆畑と休耕地にする事で生産効率の向上を図っている。
理想を言えば、ノーフォーク農法と呼ばれる四輪作を採用したい。これは、種類の違う作物を順番に育てる事で、休耕地をなくしてしまえる優れた農法だ。
ただ、これについて私は詳しい内容を理解していないため、長期研究課題としている。
休耕地をなくすための研究として、四分の一の畑の休耕地にクローバーによく似た牧草を育てる実験農場も用意している。
ただ、この国では魔物肉が安く出回っているため、そこまで畜産業が盛んではない。
その点も考慮に入れて、牧草の代わりにレンゲによく似た野花を育て、その蜜をあてにした養蜂の研究も開始していた。
また、今年から始めた研究として、肥料の改良がある。
この国でも肥料の考え方は存在していて、近場の森から採取してきた腐葉土が利用されていた。
私が目を付けたのは海藻肥料だ。
この国でもワカメのような海藻は普通に食卓に上がるのだが、元日本人の私から見ると、食べられている海藻の種類が少ないように感じていた。
そこで、食用にされていない海藻を肥料として利用する事を思いついたのだ。
肥料として利用する場合、ヨウ素等のミネラル分が多すぎる海藻は使用できない。それをどうやって判断するのか悩んでいた。
とりあえずの処置として、港町から漁の邪魔もの扱いされている海藻を数種類送ってもらっていた。
その中に、ホンダワラによく似た海藻を見つけた時、私は大喜びして飛び上がってしまっていた。
ホンダワラは日本だと普通に食べられており、もちろん、海藻肥料としても利用可能だ。
そこで、この海藻をある程度まとめて購入していて、これを軽く水洗いした後に細かく砕き、腐葉土に混ぜ込んで肥料にする実験をしている。
海藻はある程度水洗いしないと塩害が発生してしまう恐れがある。しかし、念入りに洗いすぎると、今度は必要な栄養素まで失われてしまう。
このあたりの加減も研究課題になっている。
ちなみに、これらの実験は、ホンダワラを輸出している港町の住人に依頼してやってもらっている。
今まで値段がつかなかったものが商品になると知ったその港町の住人たちは、とても協力的で、研究もかなり順調に進みそうに感じている。
ただ、これらの農業改革の成果を知るためには、年単位で収穫量を比較する必要があるため、早くても十年くらいで結果が出ればいいだろうと考えている。
また、輪作で作っている大豆の有効利用の方法として、最近になってようやく開発に成功した味噌のレシピを公開していて、各家庭で作ってもらっている。
もし、この国でも味噌料理が受け入れられるのであれば、いつかは味噌蔵を作ってこの地の新たな特産品としたい。
だが、今のところは、各家庭のおふくろの味となってもらう事を願って、私は日々、味噌の宣伝を行っている。